「アートと科学技術による『心の豊かさ』を根幹としたイノベーション創出と地域に根差した課題解決の広域展開」を目指す、香川大学と東京藝術大学の連携プロジェクト。
この取り組みは大きな関心と期待を集めています。
プロジェクトの狙いは何なのか、両学長の対談から探ります。
学長対談 ー 可能性を描く。ー
香川大学長 上田夏生(うえだ なつお)
? 東京藝術大学長 日比野克彦(ひびの かつひこ)
芸術未来研究場せとうちってどんな場所?
上田 「芸術未来研究場」は、もともとは東京藝大の活動拠点として創設されました。
日比野 その瀬戸内版とも言えますね。
上田 ギャラリー、アトリエ、スタジオを備えた拠点施設として高松市庵治町に昨年完成しました。ここで、文部科学省などが実施する「地域中核?特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」に採択された香川大と東京藝大の連携プロジェクトとして、瀬戸内エリアの自治体や産業界と連携し、地理的?文化的特性をふまえた共創的研究やスタートアップ創出を通じた社会実装を目指します。「研究場」という名前には想いがあるんですよね。
日比野 「研究所」という閉じられた施設ではなく、様々な人が集い、社会に開かれたアートを実践することで、革新的な技術が生まれ、未来を共に創っていく「場」にしたいという想いから「研究場」と命名しました。
交流のはじまりは創造工学部の新コース開設
上田 香川大と東京藝大の連携は突如はじまったわけではありません。これまでの経緯をお話し下さいますか。
日比野 はい。東京藝大は昔から全国各地の自治体と連携していて、香川県は付き合いが一番古い県。もう30年以上になりますね。そのなかに『瀬戸内国際芸術祭』があって、アートが瀬戸内と世界の橋渡し役になっていく一方で、香川大にはクリエイティブ系の専攻がない。アートやデザインの要素を取り入れたコースを作りたいから力を貸してほしいと筧前学長から相談を受けたのがきっかけです。
上田 今から約7年前、創造工学部を開設した時のことですね。当時、我々が目指したのは <デザイン思考教育> 。どんなに性能が優れた製品を作っても、それは人々が真に求めるものとは限らない。人々の感性や心理の中にある潜在的ニーズを探るのにデザイン思考がすごく重要なんです。エンジニアが有する「論理性」と、デザイナーやアーティストが有する「感性?心理に関する理解力」、これら両方を備えた次世代の人材育成が急務だということで、東京藝大にご相談をしました。こうして創造工学部に造形メディア?デザインコースが開設され、東京藝大とのお付き合いがはじまりました。
科学とアートの相乗効果で地域課題の解決を目指す
日比野 今回の連携プロジェクトで、どんな相乗効果が生まれることを期待していますか?
上田 香川大には <地域課題の解決に取り組む> という命題があり、教員や学生が日々、研究に励んでいます。しかし、研究成果を人々の幸せや豊かさに繋げることにおいては、まだまだ道半ば。研究者には <こうすれば、地域課題が解決に向かうだろう> というアイデアがたくさんあるのですが、何かを説明しようとすると難しい数式や学術用語を使ってしまい、社会に受け入れてもらうのが難しい。そこをアートの力で補えないかと考えているんです。
日比野 科学者って数値化するのが得意で、たとえばプラスチックゴミ量の推移なんかをグラフで見せられると <こんな大変なことになっているんだ> とハッとさせられますよね。数値には”気づき“を与える力があると思います。一方、プラスチックゴミに関心を持ち、行動を起こし続けてもらうためには、課題を自分事として捉えてもらう必要がある。その点、アートには人の心を動かし、行動を変容させる力があると思います。なぜならば、アートは理屈ではなく感性に訴えかけるから。
上田 そうなんです。ただ、課題解決のためには、アートの力だけがあればいいってわけでもない。まずは人々に、課題に気づいてもらうことが大切です。香川大の研究成果を科学の手法と芸術の手法で同時発信すれば、科学の手法だけで発信するよりも大きなムーブメントとなり、社会が動く。そしてそれがさらに大きな波になれば、地域課題をきっかけに自分が住んでいる場所の魅力に気づき、ここに住み続けたいと思う人が増える。香川県が抱える人口減少問題の解決にも繋がるのではないかと期待しています。
日比野 なんとも素晴らしいサイクルが回ろうとしているわけですね。すでにいくつかのプロジェクトが進んでいますが、個人的に注目しているのが、海洋環境問題への取組です。
上田 昔に比べて水質が改善した瀬戸内海ですが、プランクトンが減り、魚が獲れなくなったと言われています。しかし食物連鎖の頂点にいるスナメリとの遭遇機会は増えていて、本当に魚が減っているのか疑問なんです。そこで香川大では、瀬戸内海の生態系の変遷を調べるために、堆積した海底の泥をボーリングして分析する研究を行っています。泥に含まれる成分を分析することで、どの時期にどれくらいの生物量があったのかが科学的に解明できるんです。将来の海洋環境を考えるうえでも重要な研究だと思っているのですが、いかんせん科学者が専門用語で論文を書いてもなかなか世間に伝わらなくて…。
日比野 その話を聞いた東京藝大のアーティストが「その泥を、陶器にしたらおもしろいのでは?」と言い始めたんですよね。大体1cmの泥で1年分の海の様子がわかるから、1cmごとにお皿を作り、アート作品として発表しようと。どんなふうになるかはやってみないとわからないけれど、きっと泥に含まれる成分によって見た目や焼き色に違いが現れ、それがいつの瀬戸内の様子なのかが一目瞭然でわかる。普段は見ることができない海底の様子をアート作品に昇華して人々を感動させることで、環境問題に想いを馳せてもらおうというプロジェクトです。
上田 とてもおもしろいアイデアですよね。これは私の考えですけど、アートって広告の手段として捉えられることもあるかもしれませんが、やはりどこまでいっても芸術性を追求した作品だと思うんです。この一年ぐらいの間、私も東京藝大のアーティストたちとコミュニケーションを重ねてきましたが、みなさん <作品として最高のものを作りたい> という強い想いがある。アートとしてのクオリティが高ければ高いほど、見た人の心を強く打つのだろうと思います。だからこそ、この連携プロジェクトのパートナーは東京藝大じゃないとダメなんです。前例がない挑戦なので不安がないわけではありませんが(笑)、どんな作品が生まれるか楽しみです。
芸術未来研究場せとうちで地域を活性化させる人材を育成
上田 連携プロジェクトのもうひとつの柱になるのが、アート教育。芸術未来研究場せとうちを舞台に、地域を活性化させ、そして地域が抱える課題を解決する、アートに精通したリーダーを育成したいと考えています。若者はもちろんのこと、すでに行政に関わっている人、企業で何か新しいことをやりたいと思っている人、NP0で町おこしをしたい人など、さまざまな目的をもった社会人が集まり、学び直しをする場にもしたいです。
日比野 先行事例は、金沢大の能登学舎ですね。廃校になった小学校を金沢大が引き受け、そこで能登の復興および再活性化を担うベンチャーの起業家たちを育成しています。芸術未来研究場せとうちでも、地場産業、海洋環境保全産業、そして人の心をWell Beingにしていくような産業を巻き込みながら、起業家育成の基盤となるプログラムを作りましょう。多様な目線をもった人々が混ざり合い、新たな価値を創造する場所を目指します。
上田 この連携プロジェクトでは瀬戸内海の海洋問題に留まらず、島しょ部や沿岸部の医療、福祉、過疎化、防災の問題にも取り組む予定です。科学の力とアートの力の相乗効果で人々の心を動かし、地域課題の解決に繋げ、より良い社会の実現をともに叶えてまいりましょう。
日比野 アートは生きる力だと考えています。我々だけでなく多様な人々と混ざり合い、刺激を受け、新たな未来を共に切り拓いていきましょう。